※本動画内容は鎌田圭子氏の個人体験に関するものであり、万人への効能・効果をうたうものではありません。効果については個人差がございます。
【RevoluSynapse】鎌田圭子 くも膜下出血回復体験談
きっかけも何もないんですよ。
たとえば頭が痛かったとか、全く。ちょっと、義母と母とが両方亡くなりましたので、8月と9月に。
だから、疲れてはいたんですけどね。疲れてるからって、なる病気じゃないんですよ。別に。ある日突然なったんですよ。くも膜下出血に。
土曜日。11月3日。主人が覚えてるのは土曜日の午後だったんですけれど。いつものように吉本を見て大笑い。笑いすぎるくらい笑ってしまったんです。いつものことでした。それから少し、夕方にお酒を飲んで寝てしまうの。それがいつものことだったんです。主人が、「また寝たか」と。
次の日になっても起きない。晩になっても起きない。これはおかしいか、と思って救急車を呼んだらしいです。
ゆすっても反応がない。
―何時間ずっと寝られていたんですか?
丸2日ですね。脳内出血かなと、そこまで思ったんですって。これはひょっとして。ところが、最初に行った病院のお医者様では、「寝てるだけと違いますか?一泊していかれますか?」って言ったんで、救急隊員の機転で、これはあかんということで、別の病院に行きましょうって、連れて行ってくれたんですよ。
―どちらの病院へ?
天理病院(天理よろづ相談所病院)です。
当直の先生がいてくれて、CTか何かを撮ってくれて、これは大変だと。もうこれは99パーセント助かりませんので、とにかく手術ができることは分かりましたのでやってみますと。夜中ですよ。13時間の大手術だったんですって。もう親はいませんので、兄弟達が集まってくれたらしいですわ。
―記憶にない。
何も覚えてないんですよ。1年後に検査入院した時も、看護婦の女の子が、「鎌田さん、こんなに元気になったの?」言うて、「私はあなたを憶えてないのよね」って。そんな感じだったんですわ。
そうしたところが大手術で、集中治療室に3週間おらしてくれたらしいです。
言っていいのかどうかはわかりませんけれど。手術は成功しました。これで五分五分ですって。姉は卒倒したらしいけど、主人は「おお、五分五分もあるか」と。これは助かるぞ、と思ったらしいです。
それから最後の1週間くらいは入院中にちょっと意識が戻ってて覚えてるんですけれど。歩く練習。リハビリいうことで、歩いたり、階段を上ったり。それはできたんです。
お医者さんの方からも、「ここにいてもリハビリの必要もないし、帰ったほうがはっきりしてくるから」っていうことで退院になったんですが、その時まで私はまだ天理病院のことを、琵琶湖にいるって思って。ちょっとボケてたんですね。
―滋賀の。
滋賀の琵琶湖です。13年前にそこから来たんですけれど、ちょっとボケてたのか、琵琶湖だって。琵琶湖の病院にいるんだって言っていて。主人の話じゃあ、歳も当時47くらいだったんですけど、「27だ」って言って聞かないんですって。
お医者さんは笑いながら「サバを読んでるな」っていう応対だったらしいですけどね。
27っていうのは結婚した歳なんですけれど、それを意識したのかどうか、ずっと27やって言って聞かなかったらしいですわ。
帰りまして、「ここは天理だ」ってちょっと思いましたね。1歩出たら。帰って何を思ったのか、無心に亀をやってたんです、私。
―ずっと。
家でずっとやってましたね。そうすると、はっきりしてきて。1週間ほどで自転車で買い物に行くようになったんです。
―それまではあんまりリハビリもされていなくて?
そうなんですよ。生きていても99パーセント駄目で、生きていても、前後しますけれど、「植物状態だ」って言われていたそうです。
―診断は、何でしたっけ?病名は。
くも膜下出血のグレード4っていいまして。段階がありまして、くも膜下出血にも。ほぼ助からない領域だったそうなんですよ。
補足:再発行してもらったため診断日は異なる
もう何の後遺症もありませんね。ただ、覚えているのは、1週間ほど亀を一生懸命やりましたね。
―それから自転車に乗られて。
ええ。だんだんはっきりしてきて。それまで歩いて主人とお惣菜を買いにスーパーに行っていたんですけれど、飽きてきまして。同じものになるんでね。
「もう私は自転車で行ってくるわ」って。
近所の人も皆、「あんた!そんなことして大丈夫か?」って駆け寄ってくれましたね。というのも、当時くも膜下出血になったのがお金のない時期だったこともあって、近所の方々が、町内で見送ってあげなあかんなって。
―見送りというのは。
葬式です。町内で見送ってあげなあかんなって言ってたらしいんですわ。だから皆びっくりしてましたね。もう救急車が夜中に来たもんで、知れ渡ってるんですよね。あれから「どうなった?どうなった?」って聞かれますね。
―亀をしていて感じたこととかは?
だんだん脳が刺激されて、はっきりしてきましたね。そのあとは、ちょっとまたやめてしまいましたけどね。
―入院中に亀のことは。
主人が亀を貼ってくれてたらしいんですけどね。それは私は意識がなかったので、あまり覚えてないんですよ。
―目覚めた時というか、自宅に帰られたときに亀をしようと思ったというのは何か?
亀がしたかったんですわ。主人の言い方だと、脳が欲してるんじゃないかって。亀がしたかったんですわ。
―もともと亀をしていたとかは?
ええかげんなもんでしたよ。ちょっとやってはやめ、ちょっとやってはやめ、といった状態でしたね。
―じゃあ、脳が欲していたというか、入院中とかも何か働きかけるところがあったんですかね。
これではっきりしたんです。1週間後に病院に行ったら、先生もびっくりしてました。
―そうなんですか?
え?って。でも、主人が「よく知力トレーニングをやりましてね」って言っても、何かあまり信じていないみたいでしたね。お医者さんはね。
―見せたんですか?
いや、見せてはないです。話をしたんですよ。でもあまり関心を示してくれませんでしたけどね。これは病院にも取り入れていただいたらいいと思うんですよ。
―実際にそういうふうなお話もあったということは?
以前ありましたね。病院で使わせてもらいます、いう話がありましたね。メールが。なかった?あったように思うんですが。病院からやって。
鎌田東征)つこうてはるって。
つこうてるよって。勝手にですか?そんな話が。
―取り入れられているということが。
そんなメールがきましたね。
―そういうふうな一部の。
老人でもそう。頭のそういう治すのでもいいし。精神的な病気はもちろん。ただ、内臓的な病気でも効くと思うんですよ。というのは、脳だから。すべて。すべて脳からきてるから。がんが治るとまで言ってしまったら、ちょっとおおげさですけれど。がん予防にはなりますね。
―その方は乳がんの方でしたっけ?
そうでした。乳がんで入院中だったんです。引っ越した時ね。一人暮らしだったもので、仲良くなりましてね。
―その病状がよくなられたという事ですか?
そうでしたね。最後はもうピンピンでしたね。
―すごいですね。いろんな効果が。
元気なまま、老人ホームに遊びに行った先で、トイレに行った拍子にポコッと亡くなったらしいですわ。本当に大往生です。皆行ってるところやったからね、よかったですわ。
あのへんは年寄りの一人暮らしが多くてね。お子さんとかがいないんですよ。静かなんですけどね。もう、1人ずつ亡くなっていって。もう老朽化しているので、あとは貸さないみたいですね。だんだん減っていっている感じなんですけどね。
―これを見られて、心が落ち着くというようなことも?
落ち着くときもあるし、高揚して踊るときもあります。何か嬉しくなったりするんです。
―すごく不思議な絵。
不思議な絵です、これは。
―他のトレーニングにもいいっておっしゃっている方もいらっしゃって。
私のお茶の先生は、人によりけりで、亀はちょっとわからないけれど、ハイパーブレーナーをすると頭がすっきりするって言っていた人がいましたね。その方ももう80代でしたけどね。
―その方も元気に?
最後まで元気でしたよ、その方も。
―多くの人に一度は。
そうですね。これが広まればいいと思います。今まででもごく一部の人や効果のあった人、またはそれによって大学に受かったりしたら実感できますよね。それがなかなか伝わらない人も多かった。今度は多くの人が共感してくれたらいいと思います。
―ありがとうございます。
ありがとうございました。